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マリリン・モンローも?境界性パーソナリティ障害の有名人

境界性パーソナリティ障害/ボーダーライン症候群という精神疾患の病名が、まだ社会的にほとんど知られていなかった時代においても、境界性パーソナリティ障害だったのではないか?と思われている有名人や芸能人もいます。

世界的に有名なハリウッド女優、マリリン・モンローも境界性パーソナリティ障害だったのではないか、と言われています。

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マリリン・モンローは境界性パーソナリティ障害だった?

アメリカの精神医療の専門家の間では、マリリン・モンローは境界性パーソナリティ障害だったといわれています。

なかでも特徴的だったのは、マリリン・モンロー感情の不安定さと人間関係の不安定さです。

「有名になりたい」「一流の女優になりたい」という上昇志向と、子どもの頃の育った環境からくる「自信のなさ」「低い自己評価」によって、心の中が引き裂かれていたのではないか、と考えています。

睡眠薬の大量服薬で自殺したマリリン・モンロー

マリリン・モンローは、ゴールデングローブ主演女優賞を受賞したハリウッドを代表する映画スターです。

人気絶頂期だった1962年、新作映画の撮影準備中に、マリリン・モンローは睡眠薬を大量に服用して死亡しました。

彼女の36歳という若すぎる死について、誰かに殺されたのではないかという陰謀による他殺説もでましたが、調査委員会の結論は自殺となっています。

マリリン・モンローが悲劇のハリウッド女優といわれるゆえんですね。

アルコールと睡眠薬への依存

実は、マリリン・モンローは20歳代後半からアルコールと睡眠薬に依存していました。

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依存になった原因は、映画の撮影現場での緊張感や、自分自身の演技に対する不安、人間関係での葛藤による睡眠障害やうつでした。

撮影現場に遅刻することも多く、マリリン・モンローがすっぽかしたため撮影が中止になることもよくあったそうです。

プライベートでは、3度の結婚と離婚を繰り返したり、アメリカ大統領であるケネディ大統領や著名人とも関係が噂になったり、異性関係においても波乱にあふれ不安定な関係が多かったといえます。

両親の離婚、孤児院や里親での子ども時代

マリリン・モンローは不幸な生い立ちだったともいえます。

1992年にロサンゼルスで生まれましたが、3歳の時に父親と母親が離婚し、父親と母親の間を行き来して育てられていました。

その後、母親が精神病院に入院することになり、孤児院や里親の間を転々とする子ども時代だったのです。

一部では「里親から虐待を受けていた」という説も残っています。

繰り返す自殺未遂やオーバードーズも

その後、マリリン・モンローは男性達のセックスシンボルとして名声を得ることになりましたが、アルコール依存と睡眠薬への依存状態になります。

精神分析家の治療を受けたりもしますが、症状は回復しなかったようです。

そして、3度目の結婚相手の子どもを流産した後、自殺未遂をおこしてしまいます。

夫婦関係が悪化し、精神状態も不安定になったため、当時のアメリカ精神医学会の重鎮である医師が、マリリン・モンローを自宅の近くに住まわせて治療をしていました。

ですが、彼女が使用する睡眠薬の量は到死量を超えていて、オーバードーズ(過量服薬)と自殺未遂を繰り返す状態になっていたといわれています。

◆この記事は、日本の医学者、精神科医。帝京大学医学部教授の林直樹先生執筆・監修「よくわかる境界性パーソナリティ障害(主婦の友社)」の内容を元に、心理カウンセラーが記事編集をしています。

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