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境界性人格障害だった有名人|自殺未遂や派手な女性関係の太宰治

境界性人格障害_境界性パーソナリティ障害は最近になって知られるようになっている病名ですが、昔から病気に当てはまる人もいたのです。

境界性人格障害の有名人/著名人として、太宰治もそうだったでのはないか、といわれています。
 

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太宰治も境界性パーソナリティ障害だった?

太宰治といえば、「走れメロス」「津軽」などの作品が有名な日本を代表する作家の一人です。

「走れメロス」は国語の教科書に載っているので有名ですね。

実は太宰治も、何度も自殺未遂をしたり、派手な女性関係、酒や睡眠薬への依存、うつろな表情などから、境界性パーソナリティ障害だったのではないか、と言われているのです。

何度も自殺未遂を繰り返す

太宰治大正5年(1916年)に青森県に生まれました。

父親は地方に大地主で貴族院議員をする名士で、太宰治の子供時代は乳母に育てられました。

中学生の頃から文学の才能を発揮して同人誌を発行していましたが、1929年に左翼運動に傾倒する中で、自分の裕福な生まれに悩み睡眠薬で自殺未遂を起こします。

その後、太宰治は東京帝国大学に入学しますが、カフェの女性店員と一緒に睡眠薬を大量に服用し、鎌倉の海で自殺を図ります。

結果的には女性だけが亡くなり、太宰治は自殺幇助の罪に問われたこともあります。

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睡眠薬を大量に服用するオーバードーズと自殺未遂を繰り返したこともあり、太宰治は境界性パーソナリティ障害だったのではと言われています。

派手な女性関係と睡眠薬への依存

太宰治は高校生の頃から愛人である芸妓の初がいました。

最初の心中未遂の後、初と結婚しますが、その頃にはすでに睡眠薬中毒になっていました。

治療での入院中に、初が義弟と関係したのが発覚し、昭和12年に3度目の自殺未遂を起こします。

一年間筆を絶った後、文学の師匠である井伏鱒二のはからいで、お茶ノ水女子大学卒の才女、石原美和子と結婚し、3人の子に恵まれましたが、愛人も数人いて異性関係が派手だったようです。

派手な異性関係というのも境界性パーソナリティ障害の特徴のひとつですね。

酒と睡眠薬への依存、そして自殺へ

戦後は「斜陽」などの作品で流行作家になりましたが、太宰治は酒と睡眠薬への依存状態でした。

当時の記録映画をみると、自宅で子供を抱き上げた後、太宰治のうつろな表情が映っています。

昭和23年に太宰治は愛人の太田静子の娘を認知し、その後、別の愛人である山崎富栄と東京三鷹市の玉川上水に入水自殺しました。

専門家の多くは、太宰治の自殺未遂、自殺企図、アルコール中毒や睡眠薬への依存、不安定な人間関係から、境界性パーソナリティ障害だったのではないかと考えています。

◆この記事は、日本の医学者、精神科医。帝京大学医学部教授の林直樹先生執筆・監修「よくわかる境界性パーソナリティ障害(主婦の友社)」の内容を元に、心理カウンセラーが記事編集をしています。

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